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今日も他人事

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1.魔王生誕

三国志大戦2董卓-仲頴- 【涼018/R】
「俺は俺の欲求のままに天下を築く。暴君と呼ばれようとも、意に介さん」
(董卓おじいさま、郡雄伝第六章にて)

姓名は董卓、字は仲穎。


後漢末期、漢王朝十二州の内、最も西方に位置する涼州の隴西郡にて生を受けました。


潁川の輪氏の尉(軍事・警察)である父・董君雅の次男として生まれ、董旻(*1)という名の弟がいます。


董卓お爺様の気性は若い頃から荒く、しかしまた謀り事に長じていたと言われています。


元々、涼州は非漢民族である羌族(*2)との境界線に位置していますが、董卓お爺様は彼らの有力者達と、進んで交わりを結んでいきました。


隴西郡に帰り、農業をしていた所にその有力者達が訪れると、彼らを持て成すために耕牛を自分で握り殺し(!)、ともに宴を楽しんだそうです。


これに感謝した有力者達はお礼として家畜十数頭を差し出したという事ですので、実際には董卓お爺様が利益を得ていますね。


この一件で名声を得て涼州の兵馬掾(兵馬を指揮する部署)となり、国境の近くを巡回する任に就いたそうです。


また、当時の天子で在らされた桓帝(*3)の末年に六群良家子(西涼周辺の六群に属する名家の子)に選抜され、羽林郎(後の羽林騎。「国の片翼が林の如く盛んである」という意味)となりました。


これは当時の涼州出身のエリート部隊に抜擢された事を意味します。


この頃の董卓おじいさまは優れた武人で、人並み外れた腕力の持ち主。


その力は、左右両方の手で騎乗しながら射撃を行う事ができ、羌族は董卓おじいさまの武勇を恐れ、畏怖していたと言います。


(*1)董旻
字は叔穎。董卓おじいさまの弟。
後に大将軍・何進に仕え、宮中に押し入って宦官撲滅に参加しています。
董卓おじいさまが上洛すると、都の権限を掌握し、その功績を評価されて左将軍に昇進、おじいさまの補佐役になりました。


(*2)羌族
チベット系遊牧民族。
漢王朝時代には、涼州付近に度々侵入を繰り返していました。
西涼の英傑・馬超がこの羌族と漢民族の混血である他、後に涼州を統治した魏に対して蜀漢に呼応して反乱を起こすなど度々、三国志において登場します。


(*3)桓帝
漢王朝の十一代皇帝。
前帝は外戚の梁冀によって毒殺されており、その専横に反発して外戚粛清を決行した。
これによって外戚の影響力は排除できたものの、宦官達と結託していたため、宦官による政権掌握、それに付随する宦官ら濁流派と名士ら清流派の対立を招いてしまいました。


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